浄土真宗の「お盆」
■盂蘭盆会(うらぼんえ)の語源
「お盆」は正しくは孟蘭盆会といいます。その起源は『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』にあると言われています。一説によると「盂蘭」は「ウランバナ」というインドの言葉の音訳で、「逆さ吊りにされたような苦しみ」という意味です。「盆」は中国語で、食物を盛る容器をさします。つまり、逆さまに吊されるほどの苦しみから救われることを説くお経、それが『盂蘭盆経』とされています。
ただ、浄土真宗の立場からは、どう受け止めればよいか困惑するところもあります。以下では、その辺りにも焦点を当てながら、私なりにお盆の受け止め方について述べさせて頂くことにします。
■『盂蘭盆経』のあらすじ
まず、お経のあらすじをお話しましょう。
お釈迦様の高弟に目連(もくれん)という人がいました。その目連がある時亡き母の行方が心配になって、修行で身に付けた神通力(じんずうりき)によって母親の居所を探しました。すると餓鬼道(がきどう)に堕ちているではないですか。目は落ち込み、体はがりがりです。急いでご飯を差し出しましたが、母親が口に入れようとした途端、突然火がついて食べられません。目連は、大きな声をあげて泣きました。
目連は、お釈迦さまに一部始終を話し、母親を餓鬼道から救う道を尋ねました。お釈迦さまは、「目連よ、あなたの母は罪が非常に重いので、お前一人の力ではどうすることも出来ない。近々、高僧が集まる安居(あんご)という集まりがあるので、その方々に供養をしなさい。そうすれば母親は救われるであろう」と諭されました。そこで、目連がその通りにしたところ母親は救われました。
■お盆の解釈
目連の高僧への供養によって母親が餓鬼道から救われるという筋立ての上に、先祖の霊を供養して救おうとする民間信仰が混じって
現在のお盆の習慣ができたようです。
さて、このお経の言わんとするところはそれだけなのでしょうか。というのは、このお経の説くところをじっくり読んでみると矛盾するところがあるのです。その辺りに焦点を当てながら、私なりに自由に解釈をしてみようと思います。
■六道輪廻(ろくどうりんね)
まずはポイントとなる言葉の説明から入ります。最初に六道輪廻。一般的な仏教では、一切の衆生は現世(げんぜ)の行為によって来世(らいせ)が決まるとされています。悟って仏にならない限り六つの迷いの世界(六道)をぐるぐると経巡る(輪廻)ことになります。これを六道輪廻といいます。
六道とは地獄道、餓鬼道、畜生(ちくしよう)道、修羅(しゅら)道、人間、天(てん)道の六つです。目連の母親が堕ちた「餓鬼道」とは、どのような人が堕ちる世界なのでしょうか。その因は慳貪(けんどん)といわれます。「慳(けん)」は「けちで物惜しみをすること」、「貪(とん)」は「人並み以上に欲が強く(貪欲)、満足を知らないこと」です。この心に支配されると、自己の欲望満足にしか関心がなくなり他者は視野に入らなくなってしまいます。
■神通力(じんずうりき)とは
「神」は「計り知れない」、「通」は「自在」ということで、通常は「超人的な能力」と訳されます。しかし、仏典の中では、「仏道を究めて得られる高度な智慧」という意味で使われているようです。平たく言えば、物事を仏教の原理によって見つめることができる力といってよいでしょう。
■目連の母親
母親の人となりにも触れておきましょう。母親は目連を非常にかわいがって大切に育てたようです。彼が出家して他の修行僧たちと共に托鉢(たくはつ)にまわっていた時も、目連にだけたくさんの食べ物を布施したというそういう母親だったそうです。そのような母親が、なぜ、餓鬼道に堕ちねばならなかったのか、目連には信じられなかったことでしょう。
■母親の布施(ふせ)
さて、ここからが本論です。まず最初の疑問。
母親はなぜ餓鬼道に堕(お)ちたのか。それを托鉢中の息子への「布施」から考えてみます。
「布施」は「布施行」といい「欲を捨てる」ための修行です。布施は、布施をする者も、受ける者も、布施される物も清浄(しょうじよう)でなければなりません。これを三輪清浄(さんりんしょうじよう)といいます。
布施がこのようなものであるなら、母親が目連に差し出した布施物は清浄ではなかったことになります。なぜなら、それは目連にだけ特別に手厚く盛られていたからです。我が子を誰よりも愛した母親ではありましたが、その故に、母親の布施行は、我が子の身を案じた肉親の情からの行為だったからです。
■避けがたい餓鬼道
そのことからわかるのは、我が子しか目に入らず、我が子の幸せだけを願う親の姿です。そのような愛情によってこそ子どもはすくすく育ちます。これは間違いありません。しかし、反面で、それは盲目的であり、また、親自身の我欲の充足という通常意識されない側面ももっています。親の子どもへの愛情はそういう三面性を抜きがたくもっているのです。従って、目連の母親に限らず、世の親は、餓鬼道に堕ちる原因(これを業因(ごういん)といいます)を避けがたくもっているのです。これは、認め辛いことですが、私は、自分を振り返っても間違いないことだと思っています。
餓鬼道に堕ちる業因は慳貪(けんどん)だと先にいいました。慳貪の対象は基本は物ですが、右で述べたようにその対象を精神的な領域まで広げると、餓鬼道に堕ちない親はないとさえいえることがわかってきます。
これが母親が餓鬼道に堕ちた理由だったのではないでしょうか。
■矛盾する供養(くよう)
それにしても、餓鬼道に堕ちた目連の驚きと悲しみは相当深かったに違いありませんが、そこは釈尊の高弟です。すぐさま、母親が餓鬼道に堕ちた理由に気づき、救うすべを釈尊に相談をしたのでしょう。その時の答は先のとおり、高僧たちに供養せよでした。
この時、目連は首をかしげたのではないかと私は思います。なぜかというと、「供養」というのは、仏さまへの尊敬と感謝のために財物を供える無償の行為です。見返りを期待してする行為ではありません。母親を助けたい想いでするならば、それは見返りを期待することですから供養にはなりません。どうしてお釈迦様は日頃とは矛盾することを仰るのだろうと目連は疑問に思ったはずです。
それでも、目連は疑いをはさまず、釈尊の言われるままに諸僧に供養したのでした。すると、母親は餓鬼道から救われたではないですか。とすると、やはり、私がした供養が役にたったと考えればよいのだろうかと、目連は再び自問したはずです。
■「ただ供養(くよう)」ということ
さあ、皆さんならこの疑問にどう答えますか。
清浄な心をもって行う供養が本物で、そうでない供養は偽物である。これが通常の考え方です。しかし、この考え方は、その時の目連にとっては不可能でした。母親を救いたい思いを打ち消せなかったからです。では、どのような心で供養すればよいのか、目連は迷ったはずです。清浄ではない心で供養しても助からない。けれど、供養しなければ助からない、この葛藤に苦しんだはずです。
そして、こう考えたのではないかと。自分の心を変えられると思うことが思い上がりだったのではないか。大事なことは、お釈迦様の言葉を信頼して「ただ供養」することではないか。お釈迦様がそうすれば救われると仰るのだから、後はお任せしようと。
目連にこのような変化があったとすれば、それは自力から他力への変化だったといえるかもしえません。己をたよりにするか、仏(阿弥陀様)をたよりにするかということです。
■念仏者を見捨てない阿弥陀さま
お盆のお話をしてきました。しかし、浄土真宗ではお盆に限らず、あらゆる仏事は、阿弥陀様が、南無阿弥陀仏と念仏する人を見捨てず浄土に往生さそうとされるご縁に遇う場と頂いています。
親鸞聖人は、ご和讃の中でこう言われています。
十方微塵世界の(無数の世界の)
念仏の衆生をみそなわし(ごらんになり)
摂取して捨てざれば(だれ一人見捨てない)
阿弥陀と名づけたてまつる (そのことをあらゆる人々に伝えるため、敢えて「阿弥陀」 と名前をお付けしたのです。)
このことを信頼して、まず、共に念仏することからはじめませんか。難しい話は後回しにして。