門前の掲示版に「今月の言葉」と題して、いろいろな方の一言(私のも含めて)を紹介しています。そこに、私が感じたこと、考えたことを「私のひとこと」として書き沿えています。
このブログではその文章をリメークして投稿します。お気軽にお読み下さい。
今回は木村無相さんの詩をご紹介します。
カラダよ
人生 生きて七十年
わたしをまもってくれた カラダよ-
あなたのおかげで 生きられた
わたしわたしという このわたしが
あなたのおかげで 生きられた
真夜中に ハラを撫でつつ
かくおもう
“おおカラダよ-” 木村無相
私のひとこと
7月はじめコロナに感染しました。どこでうつったのか皆目見当が付きません。それほど感染力が強いのか、免疫力が低下していたのか、両方か。熱も39.1度が2日続きました。頭痛に加えて喉がものすごく痛み、ものが喉を通りませんでした。味覚も変に。5日間ほど横になっていたでしょうか。特効薬もなく自然治癒を待つしかありませんでした。結局、完全復調するのに2週間ほどかかりました。
私が伏せっている頃、九州北部に大雨特別警報が発令され、福岡県や大分県において数年から数十年に一度の「稀な」大雨とのこと。浸水などの被害が発生しました。自然の猛威に人間はなすすべ無しです。通り過ぎるのを待つばかりです。自然は私の思い通りには、決してなってくれません。
それで思ったのです。私の身体も同じだ。風邪が治るのを待つばかり。身体は、私のモノではなく自然そのものだったんだ! と。
手も足も自分の意志で動かせるし、運動で健康を保つこともできる。治せる病気もたくさんある。確かにそのように思えますが、それらも勘違いなのです。私が身体をコントロールしているように思えますが、実は、身体がそのコントロールを受け容れているからこそできるのです。身体がノーと言えば、それこそ手も足も出ないのです。
一番近いところに、自分の思い通りにはならないこと、カラダがあったのです。でも、カラダはずっとずーっと、わたしのことを認め、私を生かし、私を守ってくれていたのでした。そのことをすっかり忘れていました。ありがとうカラダさん。
0 件のコメント:
コメントを投稿